垣花正アナウンサー

ディレクターと2人きり。突然荒波に放り出されて(笑)。
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僕、久しぶりのアナウンサーとしてのオールナイトニッポン起用だったんですよ。だから、やっぱり長くやりたかったんですけど。1年であっという間に終わっちゃいましたね。でも、すごくいい思い出ですよ。当時、そもそもオールナイトニッポンにアナウンサーが久しぶりに抜擢されるということで、社内的には盛り上がりまして。「なんで垣花なんだ?」っていったら、ニュースも読めないし、なんにもできないやつだから面白いんじゃないかって言って使ってくれた。
1年担当して、きつかったですね。ネタが無くて(笑)。月曜日の深夜3時なんですけど、もう月曜日が来るのが苦痛で苦痛で。プロデューサーからの指令が、放送作家をつけるなと。だからディレクター1人、パーソナリティ1人だけでやれ。ていうのが指令だった。台本も無かったですね。昔のオールナイトのスタイルはこうだったんだと。突然荒波に放り投げられて。いや、ほかのタレントさんにはちゃんと作家がついてましたよ。一番喋れなくて、一番無名な奴が、一番誰もスタッフがいないって状態ですから。それに面白さを見出そうとしたんでしょうね。僕はそれがどういう形でオンエアされてたかわからないですけど、ただ必死でした。とてもじゃないけど聞けないです。当時の放送は。最初は、淡い希望を抱いて、先輩アナウンサーたちのように、というのを目指しましたけど。ほどなくして、そういうレベルじゃないと。人気の深夜1:00~3:00のマックスから、3:00~5:00で急降下するっていうのが、当時の聴取率調査で出て。逆にもう開き直って。とりあえず、いつ打ち切りになってもおかしくないから、一回一回頑張ろうみたいな世界ですね。ドキドキドキドキ。ただ夜来て、一生懸命喋ってるっていう。そういう感じですね。いまだに怖いですもんね、オールナイトニッポンというと。時々、「聴いてましたよ」とか「一回目聴きましたよ」とか、リスナーさんから言っていただいたんですけど。「垣花さんの放送だけはディレクターの指示が入るのが画期的でね~。」とか言って。(笑)ディレクターも必死だから、僕のイヤホンへの指示が大きすぎてマイクに乗るんですって。僕が必死にしゃべってる、上手くいってない、ディレクターの指示が聞こえる、それに合わせて僕が方向転換して喋ってる、みたいなとこまで含めて、二人羽織の状態を楽しんでくれていたみたいですよ。懐かしいですけど。楽しかった思い出なんてゼロですね。
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深夜ラジオという場を、「自分の城」という人もいる。
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でも、そういう厳しい場であってほしいですね、オールナイトニッポンは。成功者だけが輝かしく残るんですけど、僕も含めて、チャレンジしたけど、さして伝説も残せず、面白いコーナーもつくれなかったパーソナリティもいっぱいいるんですよ。だけど、オールナイトニッポンっていうのは、ある種、そういう厳しい戦いの場であり続けてほしいと思いますね。
だからこそ、勝ち残った人が輝くので。その方が敗れ去った者たちも浮かばれるというか。誰がやっても上手くいくみたいなのじゃなくて。チャレンジしました、そこに僕は伝説残せませんでした。
でも、だからこそ残せた人の凄さがわかるし、またそれにチャレンジする人たちがどんどん出てきてほしい。それが「らしさ」。どんなに忙しく売れている方でも、オールナイトニッポンに関しては、いつ終わるかわからない、みたいな恐怖と戦っているという話も聞きます。深夜ラジオというのは、ラジオの中のラジオ。原点ですからね。芸人さんとか含めて、深夜ラジオっていう場を、「自分の城」みたいに、「テレビに出てる自分とは違う、自分が唯一出せる場所」みたいな感じで、どのメディアとも違う風に思ってくれてるひとたちもいる。だから、そういう人たちの意気込み、生き様みたいなものを、リスナーの皆さんにも感じてほしいかなと思いますね。
こっそり楽しんでるっていう世界観。
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僕もオールナイトニッポンのリスナーの一人だったので、オールナイトニッポンというものの価値というのは僕なりにわかっているつもりなんですけど。この時計は、すごくよく表現できているんじゃないですか。深夜っぽいです。ロゴとかもさりげなくて、こっそり楽しんでる、みたいな。ラジオのそういう世界観が出てますよね。心の中でワクワクしているっていう。そういう深夜の空気感をすごく表現してくれています。そして、使って貰いたいですね。常に自分の手元に置いて、使って、自分の中で、心の友達じゃないですけど。そういう感じにしてもらいたいですね。